1991年5月3日、ようやく夜が明け始めた大糸線穂高駅のホームに、新宿始発の急行アルプスが滑り込みました。ドアが開くと登山者がはき出されてきます。若い人の姿もありますし、男性も目につきますが、半数は中高年の女性といったところでしょうか。
雨が降っています。「山はきのうから雪」という登山指導員の話。「スリップ事故もあったから気をつけて、新雪が1mくらい積もった」とか。タクシーで中房温泉まで入ると、登山口のあたりは入山者でごった返しています。ぼくたちも身支度を整えて登り始めましたが、盛夏の富士登山のような人の列にびっくりしてしまいました。
ゴールデンウィークの燕岳、北アルプスではもっとも登りやすい山といっても、雪山です。3Kを吹っ飛ばして、これだけの登山者が雪山にチャレンジしているということは、金峰山や雲取山、大菩薩峠、六甲や比良といった中級山岳やハイキング対象の山には、もっと大勢の登山者・ハイカーが繰り出してるということでしょう。
精神的な意味で3Kが強まっていくというか、がんじがらめにされてゆく社会の中で、登山者が増えているという事実は大いに喜ぶべきことです。登山するということは、反骨精神の表明でもあるのです。
でも、雪山登山者の増加は底辺拡大の証明だと、喜んでばかりもいられないようです。合戦小屋を過ぎ、雪稜をたどるようになると危なっかしい人も散見しました。ピッケルに12本爪アイゼンを買ってくれば、安全に雪山登山ができるというわけではありません。軽登山靴に6本爪アイゼンという人も少なくなかったですね。山を甘くみることなく、登山者1人ひとりが必要な装備を揃え、それらを使いこなせるようにしておかなければ、いくら登山者が増えても、登山は3Kだとする社会の評価をくつがえすことはできないのです。
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