登山の世界がよーくわかる-常識とあれこれ-
YAMA BOOKS18 山登りでも始めてみようか-登山の世界がよーくわかる-
発行/株式会社 山と渓谷社
文/岩崎元郎 絵/中尾雄吉 より引用
山登りがトレンディ登山靴のイラスト
山マーク歩けば頭が軽くなる
 1981年3月のある日、ぼくを乗せた飛行機は成田空港からテイクオフしました。テイクオフとは離陸のこと。この日は、ぼくが日常世界からテイクオフをする、記念すべき日になりました。
山登りイラスト2 飛行機はバンコクに向かっています。前の日も、そのまた前の日も、この日のために徹夜で仕事をして、頭は朦朧となっているはずなのに、妙にさめたところが奥のほうにあるのか、残してきた仕事のことばかりが気になって、A社からクレームの電話はかかってこないだろうな、B社へ出した見積もりはうまく通ったかな、C社は、D社は・・・・、そんなことばかりが頭の中をめぐります。

ネパール・ヒマラヤにあるニルギニ南峰登山のために、飛行機に乗っているというのに、なんていうことでしょう。バンコクに着いてホテルに入っても、仕事が頭から離れません。翌日、カトマンズに向かう機上の人となってもダメ。窓の下には、メコンの流れが悠久の刻をゆったりと流れているというのに。
 3時間ほど、空中を疾走したのち、飛行機はカトマンズ郊外にあるトリブバン空港にランディグしました。憧れのネパール、初めてのネパールに興奮してタラップを降ります。原っぱのような飛行場に感動。鼻を突く異様な臭気がネパールの上を踏んだことを実感させてくれました。

 2週間前に出発した先発隊2人と、一週間前に出発した2人が、僕たち本隊2人を出迎えてくれます。全員が始めてのネパールだというのに、先の4人はいっぱしのネパール通。ぼくたち2人を夕食の席へと案内してくれました。場所はカトマンズの繁華街、タメールにあるチベッタン料理店「ウッシェ」。2週間ぶりに登山隊全員、といってもたったの6人ですが、顔を揃えたところで乾杯。準備や金の工面に追いかけられた一年を振り返ります。感慨にふけっている間もなく、「ギョウザはモモっていうんですよ」「ヨーグルトドリンクはラッシー、おいしいですよ、ちょっと汚いけど。」

ようやくホテルのベッドに身体を放り投げることができたのは夜の10時過ぎ。疲れているんだからすぐに眠れそうだな、なんて思いながらもぞもぞと身体を動かしていると、なんということでしょう。頭の片隅が再び働き始めたではありませんか。A社のクレーム、B社の見積もり・・・。ポカラに向かうチャーターバスの中でも、ポカラでの不足品の買い出しやポーター集めなど、最後の準備のさ中にも、頭の片隅は残してきた仕事のことを心配してるんです。
   
 最初のキャンプ地、ヤンザまでは知人のランドクルーザーで送ってもらい、翌日からキャラバンが始まりました。スイケット・フェディー、ノーダラ、チャンコラコット・・・。ニルギリ・サウスに向かってぼくたちは毎日歩きました。いつの間にか残してきた仕事のことは頭から消えています。

 ラリーグラスが美しいゴラパニ手前のシャクナゲのジャングル、のんびりビールを飲みながらニルギリ南峰を見上げたタトパニのスルジェ館。積雪に苦しめられたトロブギン峠の通過。
そう、ここは処女峰アンナプルナのモーリス・エルゾーグ率いるフランス隊のルートでもありました。山はすこしずつ近づいてはくれましたが、全員が初見参のヒマラヤは手強くて、C2を出すこともできず敗退してきました。

 しかし、ネパールのカルチャーショックは素晴らしいものでした。日本に帰ったぼくは、いい学校、いい会社、かわいい奥さん、自分の家、というアスナロ物語に訣別できました。そして会社をやめ、山のことなら何でもやってやろうと、撰事務所という企画会社を設立、無名山塾や「山の遠足」の展開を始めてしまったのです。

 歩いて頭が軽くなったせいでしょうか。ニルギリ南峰に向かって歩き始めたとたんプッツンと忘れてしまった仕事のことを思い出したのは、ネパールから帰ってきて数カ月後のことでした。

 都合の悪いことは忘れてしまえる、登山には大いなる魔力があると信じられますね。

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