なぜだかわからないけど、イライラしているあなた、山登りでも始めてみませんか。
イライラすることって、ありますよね。よくあるっていう人もいるでしょうし、たまにあるよっていう人もいるでしょう。でもね、安心してください。イライラしている自分に気づいているのは、まだ健康な証拠です。とはいっても、心に不健康な陰りがみえ始めた徴候は確実にありますよ。それは、「なぜだかわからいけど」、という感じ方です。
ちょっと考えてみてください。自分がイライラしている理由がわからないはずないじゃありませんか。会社でおもしろくないことがある、奥さんとつまらないことでケンカした、友だちとうまくやってゆけない、近所づきあい、子ども、進学、就職、将来のこと、ファッション、土地、家、株・・・・・・。イライラの原因は身のまわりに、あふれんばかりにころがっています。
なぜだかわからないけど、というのは、問題から心が逃げている証拠です。理由がわからないんじゃなくて直面する問題にどう対応していいのか、それがわからなくて心に不安が芽生えるのですよ。
ここでひとがんばりがんばれると、不安の陰りなどたちまち霧散して心いっぱい青空になるはずなんだけど、たいていの人がここで悩んじゃうんです。
下手な考え休みに似たり、なんていう俚諺もあるように、ちょっと考えて答えがみつかるくらいなら、精神病棟など空っぽになってるでしょう。答えがみつからないから、さらに悩んだり考えたりしているうちに、原因がどこかにいっちゃうんですね。ふと我に返ると、なぜだかわからないけど、イライラしている自分に気がつく、とまぁそんな具合になっているようですね。ヒトの心は。
どうしてこんなことが書けるのかというと、ぼく自身がそうだったからなんです。イライラしている自分には気がついてるんだから、まだまだ俺の心は健康であると。で、なんとかしなくちゃいけない、と考えるわけです。問題を解決する妙案があるわけでなし、そんなとき、えいやっと問題をほっぽり投げて、山に入っちゃいます。これですべてが解決、山から下ったときは問題なんかどっかへいっちゃって、身も心も晴々、軽々・・・・。
実はこれ、ぼくだけの特権ではありません。山は素晴らしい心の病院だと気がついて、いま、山登りを始めている人が増えています。
なぜだかわからないけど、イライラする。問題に直面してちょっとばかり悩むと、もうなぜだかわからなくなるようなことは、考えてみりゃたいした問題じゃなかったわけです。「歩けば頭が軽くなる」とは、医学の祖、ギリシャのヒポクラテスの言葉ですが、歩けば血液循環がよくなって、頭のてっぺんから足指の先まで、新鮮な酸素が配達されますから、身も心も軽くなって当然。どうせ歩くならコンクリート舗装で固い路面、排気ガスで空気が汚染されている街中を、健康のためにと一生懸命歩くより、山の中のほうがはるかに健康的であるということは自明の理。
日本の山は一部を除けば緑の山です。アルプスやヒマラヤのように氷雪と岩の連なりじゃないので、日本の山を登るというのは,緑の中を登る、つまり同時に森林浴を楽しめるわけです。峠に立てばさわやかな風、谷間に下れば清冽な水、世俗の問題なんてどうでもよくなるというものです。
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